タイトルロゴ 「未来 挾土秀平の夢『歓待の西洋室』」
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装飾用画像(東家土蔵 壁)

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文:挾土秀平

夢の洋館プロジェト・・・。振り返れば、大正4年のこの洋館に巡り合ってもう4年になる。まずは解体作業から始まり、部材の管理、移築場所の確保など、様々な諸問題を切り抜け、いよいよ、その建築を具体的に考える場面となってきた。信じられないほどに嬉しい。

ところが、さっそく洋館の基礎の部分から、新たな問題に突き当たってしまった。

洋館の基礎は、レンガ造りで出来ていた。当時のレンガは再利用できる状態ではなく、廃棄処分をしたので、レンガは新たに調達しなければならなかった。しかし100年前、一つ一つを手作りで形成し、上り釜で焼き上げた、微妙な色合い、ねじれやゆがみを持った風情のあるあの赤レンガは、時代の工業規格化によって完全に消え去っていた・・・・。

そんな折、私の人生に決定的な影響を与え続けている雑誌社の編集長、通称「泥の詩人」に、レンガについての相談を持ちかけてみた。彼は、土という始原的な素材の可能性や現代社会が切り捨ててきた弱い物の美しさ、自然の中にある人間本来のあり方を、さりげなく、ゆっくりと導いてくれる、そんな人物である。

数日後、その泥の詩人から「会津若松にその昔、レンガ造りで栄えた集落があるから、手がかりになるかもしれない」と知らせが入り、二人で現地に向かう事になった。現地には確かに、古い登り窯は残っていたものの、今では全く使われる事もなく文化財となっていた。「もうレンガ職人なんていないよ」そっけない返事が、土地の人から返ってきた。手焼きのレンガにはたどり着けなかったが、旅の帰りの電車の中、私には心密かに期待していたもう1つの目的、この洋館の名前を、尊敬する泥の詩人との会話の中で見出したいという思いから、ビールを開けながら、そっと名前の事を切り出してみた。

「そうだねえ。あそこは鳥や虫、植物、雨や風といった、声なき森の小さな声もしっかりと受け止める、歓待の風景だからね」詩人の言葉にはっとなり、空気の中へ消える前につかみとった。そうだ、「歓待」だ。棟札にはもともと、西洋室とだけ書かれていた。私はとっさにひらめいた。「宮沢賢治の童話に『注文の多い料理店』があるよね。おごり高ぶる人間を食らう不思議な山猫の洋館のような響きにしたいな。歓待の西洋室ってのはどうだろう?」現代建築へのアンチテーゼの意味を込めて、提案してみた。「うん、それいいね」列車内で詩人と二人、洋館の名前が決まって祝い酒を飲んだ。訪れる人はもとより、洋館の山にすむ目に見えない飛騨の地霊を歓待し、祝福する建物にしたい。身近な建築素材、それは地球上にある木や土、水などの天然素材を材料に、人間の持つ最高の技能でつくりたい。しかもナラ林や山野草、色とりどりのキノコなど、飛騨地域の身近な四季の移り変わりを五感で体験できる、そんな奇跡の場にしたい。最も、歓待の西洋室に招待する人間は、主人である私が何かと注文をつけて査定するだろう。人間にとっては一見あべこべに見える条件だが、地霊を喜ばせる建物が、ひいては人間を喜ばせる建物であると、私はどこかで信じているのだ。

■「歓待の西洋室 05」へつづく■

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