タイトルロゴ 「未来 挾土秀平の夢『歓待の西洋室』」
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装飾用画像(東家土蔵 壁)

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文:挾土秀平

洋館建設の夢も、いよいよ現実味を帯び、その骨組み。いわゆる建前の時がやってきた。これまで関わってきた人達も続々と集まり、大工の指示を仰ぎながら、我々秀平組、左官〔15名〕がメインとなってその骨組みを建ててゆく。原生林から建前へ・・・良くぞ此処まで、こぎつけたものだと一同の中に祝祭のムードが漂っていた。

話は一転、そもそも職人社秀平組のメンバーは、結社して6年。そのほとんどが私の親父〔挾土秀吉〕が、昭和30年代に設立した左官会社の弟子達で構成されている。まさに、裸一貫、木造の一軒家に、親父と女房と子供〔私〕と若い衆が共に暮らし、〔映画、三丁目の夕日〕さながらの、貧しくも暖かい一喜一憂を繰り返し会社を存続し現在に至っている。

しかし言うに言われぬ、様々な経緯の中で親父は一線を退き、私も又、会社の継承を断念、単身独立を決意しその会社を退社した。2001.4.1職人社秀平組は、ゼロからの出発とは言うものの、親父の育てた弟子達がそれぞれの思いで集まり結社しスタートしたぶん、その絆は深い。

建前の日、親父とお袋も祝酒を持って、その光景を見守っていた・・・夕刻に近づき、洋館の棟が上がり屋根板を打ち始めた頃、ブレザー姿であった親父が腰に釘袋を下げ屋根に上がってきた。お袋の話によると、朝から参加したくてそのチャンスをうかがっていたという。秀平組職人達は、屋根上に現れた親父に驚きながらもどこか喜ばしく、その舞台を譲り、危険性を気遣い、それを無言の内に察して作業が止まる事無く流れている・・・〔あうんの呼吸〕。私は地上からその光景の中に本物の師弟の絆と、その格調、品格の深さというにフサワシイ美学と誇らしさを感じずにはいられなかった。

しかし一方で、つい最近こんな事が起きた。前会社の弟子の突然の死。親父子飼いの腕の良い職人の悲しみの葬儀が、とり行われた。泣いて笑った茶碗酒。実に40年にも及ぶ師弟の関係・・・。ところが、事もあろうか? この葬儀の焼香の際、師の名前は平然として最後まで読み上げられる事はなかった。いうなれば親子の別れに親がその舞台を与えられなかったに等しい。まさに本末転倒・・・気付かなかったでは許されるべきものではない! 〔歴史、人情の息づく街。匠の国、飛騨〕とは名ばかりで、今では人の心も街並みも、過去の物である事を、象徴している現われとしか言い様もない。

私は思う。時代は移り変わり、どんなに簡略化しょうと、やはり大切な部分は不変であると。ものを作るとは心を込める事であり、そうした情熱の心が感受性を育て、柔軟で正確な技能や、新しい知恵と創造を生み出し、機械的ではない進化を遂げる事が出来るのではないかと・・・この自然林と洋館は、そんな情熱をパスポートとして、様々な人々を歓待する事で心ある不変的な進化をしつづけたい。

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