タイトルロゴ 「言葉 〜泥の詩人より」
装飾用画像(東家土蔵 壁)

文筆家でもあり、「左官教室」の編集長でもある、“泥の詩人”小林澄夫氏が、挾土秀平との交流や、手がけた仕事について、左官教室「今月の言葉」に綴ったコラム。

02 笑う泥壁

文:小林澄夫 氏

蒸籠蔵

両面宿儺は、飛騨の土着の神である。

両面宿儺の良き魂が冷たい時雨のような雨を降らせた。

飛騨丹生川千光寺。高山の若い左官職と円空仏をみにゆく。千光寺に登る途中の板殿の部落で荒壁の土蔵をみた。土蔵は、飛騨ではめずらしい蒸籠蔵(せいろぐら)。蒸籠に組んだ板に木釘をうって縄をまき泥を塗ったもの。泥は塗ったというよりも荒打ちのままで、五十年余の歳月をへていた。

その土蔵は、不思議な幸せな気分をまわりに発散させている。かま土(地元の人はカマド用の土のことをそういう)を板に打付けただけの泥の壁が笑っているのだ。泥の壁には黒く歳月にすすけた木釘の頭がみえかくれし、泥は荒打ちのままに手の指のあとを残している。その指の跡が、大きなもの、小さなもの、不思議なリズムを泥の壁に刻んでいる。そう、笑っているのだ。泥の壁が笑っているのだ。

私は、見る。荒打ちの光景を眼前にみることが出来る。まざまざと、白日夢でもあるかのように。

子供達が土場で切り藁を蒔き、小さな足で泥を踏みつけている。母と子が並んで泥をにぎりダンゴを作っている。バァさんがそれを少年に手渡す。年端のいった少年がそれを足場の上の男らに投げる。男もいる。女もいる。投げられた泥だんごをそのまま受けた手で木釘に縄を巻いた板壁に打ち付けていく。さんざめく子供らの声。女らのとめどないおしゃべり。もくもくと泥を打ちつける男らにもなにがしかの女子供らの浮き立つ気分が伝染する。やがて陽は傾き、荒打ちを終えて、女も子供も男らも年寄りも土場にあかあかと燃える焚き火のまわりに集まり、いも煮の鍋を囲む。酒がまわり、お祭に似た幸せな気分が、普請場に漂う。

泥よ!泥よ!

一粒の種もみから千の万の稔を

泥よ!泥よ!

日照りの夏は涼しい日陰を

泥よ!泥よ!

寒さの冬はあたたかい陽だまりを

泥よ!泥よ!

生きとし生けるものの終の棲家よ

いつのまにか風が吹いて、冷たい雨すら降り始める。荒打ちの光景はすでになく、祭のような幸せな気分も風の声に消え、冷たい雨に濡れているじぶんを見い出すばかり。ただ、泥壁のひとつひとつの泥に残った指のあとに遠い昔日の荒打ちの笑いさんざめく谺を聴くばかり。

遠い声。

遠い泥。

■03 八ヶ岳南麓の野菜蔵 へつづく■

赤い線

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