タイトルロゴ 「言葉 〜泥の詩人より」
装飾用画像(東家土蔵 壁)

文筆家でもあり、「左官教室」の編集長でもある、“泥の詩人”小林澄夫氏が、挾土秀平との交流や、手がけた仕事について、左官教室「今月の言葉」に綴ったコラム。

04 飛騨のヒガキとケルトの渦巻紋様

文:小林澄夫 氏

Now printing...

いつだったか、飛騨の高山の山村で荒壁のままほかってある土蔵をみたことがある。土蔵は間口二間、奥行三間といった農家の米蔵といった土蔵だったが、荒舞仕舞の壁にはヒガキが切られていた。

米や生絹の相場でも上がったら漆喰でも塗ろうと思ってそのままにその機会もなく、荒壁のまま使われてきたのだなとそんな風に思いながら、荒壁の土蔵をみた。砂利まじりの荒壁の土はさもかたそうで、ヒガキのあとが厚い泥壁に深く切り込まれていた。

近くでみるヒガキの跡は、筆で書いた和数字の一のようで、それが泥壁の上から下へと次々と平行にある感覚でリズミカルに切り込まれていて、上下に並ぶ一の水平の列と列の間には、幾分傾いたヒガキがたてにはすかいに下まで切られている。そんなヒガキの紋様が四周の壁の前面に上から下へとびっしり刻まれていて、壁の正面から側面へ、側面から裏面へ、裏面から側面へ、側面から正面へとなにか終わりのない大壁の四周をまわっている。

それをみていて、私はなにかふっとケルトの渦巻紋様のことを思い出した。この飛騨の土蔵の荒壁のヒガキの紋様がケルトの渦巻紋様と直接外観が似ているわけではないけれどもケルトの渦巻紋と飛騨の土蔵の荒壁のヒガキの跡が、何処かわたしたちの魂の深層でつながっているのではないかと……。

飛騨には縄文の遺跡がいくつもあり、天皇族がこの列島にやって来る前の原日本人ともいうべき人々が最後まで棲んでいた。円空仏で有名な両面宿儺の伝説や、車田という渦巻き状に稲を植える祭も残っている。墓場にいちいの木を植える風習……ヨーロッパの西のはずれ、アイルランドに残るケルトの墓地にもいちいの木が植えられているという……。日本の最深部というべき飛騨に文字を持ってこの列島にやって来た天皇族に追われた原日本人の記憶が、円空のナタ彫りの木端仏やこの荒壁の土蔵のヒガキの跡に残されてきたのだとかんがえることは魅力的なことではなかろうか……。

かつて、ローマ人がヨーロッパ大陸に侵入する前、東は小アジアから西はアイルランドまでヨーロッパ各地を居住・移動していたケルト人……彼等も文字を持つことがなく、渦巻紋様や組紐紋様、動物紋様を持って文字の文化とは別の文化を持って、小部族のままに居住・移動をくりかえし、国家を持つことがなかった。

バイカル湖のほとりに生まれた人類が、ユーラシア大陸を西へいったものはアイルランドへ、東へいったものは日本へ……西の果てのアイルランドのケルトの渦巻紋様と東の果ての日本の飛騨のヒガキの紋様が魂の深層でひびきあうとしたら、ケルト人と飛騨人は同じ血を……私は海の上を吹く風、私は深淵の波……という狩猟民の血のざわめきを共有するということだ。

飛騨にいまだ残るヒガキの切られた土蔵の群れ。文字以前の言葉としてのヒガキ紋様……ヒガキの紋様の意味ではなく、ヒガキの紋様にざわめく声が私にはいとおしい。

■05 飛騨高山の歓待の園 へつづく■

赤い線

このページのトップへ▲
Copyright(C) 2006 Hasado Syuhei & Shokunin-sya SYUHEIGUMI. All right reserved. 2009-4-10 renewal.