タイトルロゴ 「言葉 〜泥の詩人より」
装飾用画像(東家土蔵 壁)

文筆家でもあり、「左官教室」の編集長でもある、“泥の詩人”小林澄夫氏が、挾土秀平との交流や、手がけた仕事について、左官教室「今月の言葉」に綴ったコラム。

07 イチイの樹の下で

文:小林澄夫 氏

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夏の夜明け。苦いエスプレッソ珈琲。なんのあてもなく高速BUSに乗る。赤い谷。黒い河。何処でもよかった。投げられた飛礫のように。転がるがいい。さまようがいい。無雑でピュアーな風景が何処にある。ただ、人間以前の地質学的な風景は想像の彼方にある。いってよければ、詩の中にあるだけだといってよい。洪水のあと、燈芯草の影で兎が神様にお祈りをあげた。そんなランボーの詩の兎の眼に映った風景の中にあるだけだ。

七月の末。まだ梅雨のあけやらぬ灰色の空の下で、飛騨の山々は深い緑の闇の中にあった。内から燃えるような樹々の過剰ほどの緑の山や谷を越えて、私は御岳の山すそにある日和田村に樹齢二千年というイチイの樹を見にいった。一位八幡宮の境内にそのイチイの樹はあって、ひとかかえもある幹は、いくつもの樹の幹が絡まりあいねじれたように空へと立ちのぼっていた。そこに私は人間のあずかりしらぬ無垢の生命のエネルギーをみたように思った。

そのオヤシロを囲むイチイの原生の林をみてから、一位八幡宮の前を飛騨から信濃へ抜ける峠道に自然発生したような数十軒の家並みの続く街道を歩いていった。街道はひっそり閑として人影もなく、遠く近くうぐいすの声が聞こえているだけだった。民家がとぎれ、街道がゆるやかに曲がるあたり、幾本かのイチイの樹の下、古い屋敷あとの石垣の上に石仏が並んでいるのをみつけた。

幾つもの石仏の列が街道にそって石垣の上の夏草の中に並んでいた。それらの石仏はよく見ると作られた年代が違っていて、かすかに天保と読める石仏が四、五列目にあって、その左側のはずれのものは明治の年号が刻まれていた。それらの石仏の中に、ひらべったいひとかかえもある河原石に蓮華の花弁を二つに並びに削って、その一つ一つの花弁を背景に地蔵尊らしき仏様が浮き彫りにされたものが、三つほど並んでいた。それらの石には年号はなく、ただその素朴な雰囲気から天保のものよりは年代をさかのぼるにちがいないと思われた。

一つの河原石に彫られた二つの地蔵尊の顔は、それぞれ微妙に違うのだが、産まれたばかりの赤子のように眠るでもなく目覚めるのでもなくやさしい童子の貌をしていて、その一見無造作にひとノミで彫られたような目鼻だちには不思議な懐かしいものがあった。

始原には抵抗があった。無垢で無雑な石の塊には抵抗がある。村はずれの石仏。地蔵王大菩薩。行き倒れの旅人を、路上に倒れ附した馬を供養するために彫られた石仏。遠く天山の崑崙の摩崖仏に谺する光、風・・・。そう、私は聞くことができる。モンゴルの草原を渡る風の声を。野生の馬のひづめの音を・・・。シルクロードを渡ってきた仏陀の声を・・・。私は夢みていたのだろうか・・・。そこに、イチイの樹の下に石仏は並び、石仏の風雪に殺がれたあるかなきかの眠るがごとき目鼻の線に、無雑でピュアーな風景を夢みていたのだろうか。

■08 翔べ! 飛騨の青き蝶よ へつづく■

赤い線

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