この広告取材の依頼を受けたのは、2008年、
                  去年の12月のことだった。

それが世の中に出まわったとき・・・・
まさか、こんなにも大きなポスターとなり、
全国に繰り広げられる事になるとは、当初想像もしていなかった。


今、都内に貼り出された自分の顔も、
ようやく、その期間を終えつつある中で、
ポスターの自分自身の顔に見る表情に、自分だけにわかる、

何か、こう、自分の知らない、その裏側が映し出されたような・・・・・
           重いものを引きずるような、気だるさを感じている。

2001年の独立から2007年まで、
職人社秀平組は、自分を先頭にして、時代に求められるままに、
            全ての依頼にチャレンジしてきた。

ゼロからの出発だったあの頃。

ダメでもともと
   「ゆけるとこまでやってみよう」
       ・・・・これを合言葉に進んできたこれまで。

疲れを感じながらも、望まれていることの喜び。
  今、この時を、結果はともかく自分達流に生きてみる・・・・・・。

一致結束。
時代に新しい左官の表現を、時代に投げかけて、
      一喜一憂する毎日を過ごしてきた俺と職人衆。

ところが2008年の始め、
思わぬ中傷を受けて疲れ切ってしまったり、
   一方では、洞爺湖サミットでの大きな舞台をこなし

何よりも大きかったのは、
この一年をかけようとした銀座出店のクライアントとの
  半年に及んだ末の、理不尽極まりない、人間不信に陥るような決裂の結末。

6月、
そんな決別の真っ最中に、突然、片目にかゆみを伴い、
     目・鼻・口と、右半分がまったく動かなくなってしまった。

尋常じゃない危機感を感じて・・・・・。
           診断の結果は≪右顔面神経麻痺≫

医師からは入院を勧められたが、
サミットまで残り一ヶ月を切ってる事を理由に、

深夜の点滴と強い飲み薬(ステロイド)、
昼の針治療を続けながら、
違和感を残しつつもどうにか回復し
           切り抜けたかに思えていた。

しかし2か月後の8月だった、
高速道路のSAに入って何気なく
車から降りて、いつもよりゆっくり歩いていると・・・・
     
妙に辺りが、
 何か肌寒い風景に感じられたような気がした・・・・・

そのとき

一瞬、数本の白い光が流れて、目の前がぶれて、
本能的な恐怖感が、頭の芯から体中に走り、
              一歩も動けず口も利けず、

そのまま強い点滅の中にうずくまってしまったのである。

突然の身体の内側からくる
キケンな異変にどうなったのか解らず、ただ
         携帯を握ったままベンチに横たわり、空を見ていた。

それをきっかけに始まった、体調不良。
 周りと遮断されるような耳鳴り、めまい、右目の違和感、
   運転中に突然襲う、情緒不安定に襲われ出すと、
       不安な気持ちが、さらに神経を消耗させて、

名古屋までの高速道路では。
通常2時間の道のりが、6時間以上を費やし、
               疲れきってしまう日々。

集中する事が怖い・・。

自分を散らして
自分の様子を伺い、
少し気持ちが高ぶると、右まぶたがほんの1mm、
ふくらんだ圧力を眼球に感じて、
      鏡と向き合う過敏な状態が続いている。

心をひとつ、弱い方向に向けてしまえば、途端に崩れてしまう、
                  一点の上に立っている自分。

それはまるで積み木の身体をもってしまったかのような、
この身体の左右の分離が始まり、また突然の亀裂の恐怖に悩んで・・・・。

自分に言う。
(“ゆけるところまで”とは、ここまでだったのか)
                     ・・・・と。

頭や心は立ち向かっていても、
肉体はここで限界。悲鳴をあげて、中心から割れだしてしまった?

自分自身は冷静でいるのに、
右片目と、心の芯が密接に繋がっていて、
     全く別な動きが、自分の意思を無視して身体に現れてしまう。

≪分裂と矛盾。≫

そのまま、12月を迎えた頃、
「白水」と「ソロモン流」からの依頼が、 
          不安定な中で持ちかけられる。

視線が定まらぬ中、
日比谷公園に座り込み、
    この人なら・・と思える人に電話で相談してみると

・・・・「チャレンジしなさい」、という言葉に。

≪体を休め、だましだましでも、やるべきか≫
≪俺を必要としてくれたキリン。≫ 

・・・・これが最後かもしれないから・・・・・
           という、気持ちが働いていた。

そして2月始めから今現在へ。
不思議にも耳鳴り、そして一番の難敵だっためまいは、
             以来、なぜか一度もこない。

ただ完治したのではないことは判っている。
今でも、ごく微妙な右目の違和感の不安に苛まれているからだ。

キリンの撮影では、
7?8枚の写真をピックアップし、
うち、2枚の写真が広告に使われているが、
他の写真をスタッフから記念にと手渡された、その顔。

その顔が以前の自分とは違っているように見えてしまう
不思議な感覚がある。

そして広告に使われたその顔も、
微妙に自分ではなく、自分には
           右と左の顔がふたつに割れ、

ふたつにズレた、ある別の違う顔に見えるのである。

自分も知らない、
その奥の別々の自分に、「お前は誰なんだ!」とでも言うように。

今思えば、あのうずくまったその時、
壊れた?というより
     “割れた” のかもしれない。

そう。 心も、割れた。

1人の自分(息をしている)と
2人の自分(狂気的と、穏やかさ)と、
もう1人の(遠く静かな)自分。

       
今回のキリン白水は、自分ではあるにしても、
     自分でない、強烈なムードを漂わせている。

それは、分離してしまったものを繋ぎ、
               束ね合わせた別の自分。

右と左の二人の自分、それでも、前へ行くしかない