色について思う・・・・
それは自分の仕事が〔土〕と向き合ってきたから、
肌でかんじている持論がある。
30代、
まだ土をどう扱ったらいいのか、解らないまま、
いつかの土壁の世界を夢見て色土を探し、
採取を繰り返していた孤独な時期があった。
飛騨の山々を歩き、
開発工事で、鉄の重機が大地をえぐっている現場や、
土地に伝わる古い伝説をたどって探したり
めぐり会う土のすべてが、美しく見えた泥狩りの時間。
飛騨の蔵作りに適したカマ土と呼ばれる、
【黄土色から茶色のあいだくらいの色合いの土】
岩と岩との隙間に斜めに細く挟まれた、
【鉛色の粘土】
深山の谷沿いをしばらく歩くと、突如身の丈を越えて現れる、
【真っ赤な地山の山肌】
厳寒の朝、霜立ちの下に顔をのぞかせる 【黄土】
わき水といっしょに流れ出て、
自然の鉄分が蓄積したのであろう・・・
【サビ色の土】
うすい黄土色の中に、あわい緑を見るような 【浅黄土】
地層の中に一筋走って、
地球の体積の歴史を教えてくれるような 【白土】
・・・ある日のこと、そんな偶然の中でみつけた大切な土がある・・・・
それはきっと、
神様に導かれたに違いない、
運命的な色土にめぐり会った。
深山の清流。
その土は、
人も通らぬ山沿いの林道の下り坂の途中・・・・
白骨化した獣の死体の脇にして
青黒い顔をのぞかせていて、
ぐっとつかんだ手を陽にかざしてみると、
その指先についた乾いた色合いが
まるで、遠い夜空のような紺色をしていたのであった。
真冬の深夜、
景色を覆いつくした
雪面の野の開けに立って見上げる夜空は、
月明かりが白い大地に反射されて、
濃紺が少し薄まったかのような、
鮮やかな青さに広がり。
秋の夜、
樹林の影が静脈もようになって
地表に落ちた、黒青の世界の闇は、
苦悩と一緒に自分を魅了する。
それからは
この土を、ひとり勝手に≪夜空色の土≫と名付けて・・・・
まずは、塗りカベとして平滑に塗りあげてみた。
すると、土壁の色合いからは、
深く、さいげんのない夜空のような奥行きと、静けさが感じられて、
気持ちを奪われてしまう魅力が感じられるのだ。
空には夜の果て・・・宇宙の無限の紺。
海には、なぞの深海の紺の広がり。
そしていま、自分は陸の地中の中から、
紺色と出会うことができたのである。
自分たち、命あるものの圧倒的な世界に広がる
【陸】、【海】、【空】の無限の色。
それは、地球規模の色であり・・・・
世界を包み込んでいる遥かな色合い、
それこそが深い紺色だという絶対の事実にたどり着く。
自然界の
大きな大きなキャンパスの中に点在する赤や黄や緑や茶色は、
身の回りにある
赤い木の実や、小さな黄色の野草や、
葉緑の樹林や、枯葉の茶いろとしてあり
圧倒的な紺の中に、
散りばめられていると考えても良いのではないか?
子供時代に、
文房具として買い入れた≪水彩えのぐ≫にある十数種のそれぞれの色は、
左から順に、
白色→レモン色→黄色→黄土色→茶色→朱色→赤色→
青色→藍色→黄緑色 →緑色→黒色→こげ茶色→
うすだいだい色→セリアンブルー→紫色
と並んである。
よくよく見ると、
ここにある赤や黄の一色一色は
工業的に作られた、教え込まれた色であり
本当の赤や黄とは何なのだろうか・・・・
という疑問まで持ってしまう自分だが・・・・
もし自分が≪水彩えのぐ≫を作る側だとしたら、
せめてその色の並べ方の順番に対して、
こだわりを持ちたいと思っている。
まず、
16色を並べる箱の中の左右の端に、
深い紺色を置いて、左端の深い紺の次に赤を置き、
そして順に、
朱色→うすだいだい色→茶色→黄土色→黄色→レモン色と並べて、
中心に“白”を置く。
右端からも深い紺から始めて、
藍色→青色→こげ茶色→紫色→緑色→黄緑色→セリアンブルーと並べて、
中心に “黒”を置き、
ちょうど真ん中に白色と黒色が並ぶことになるのだが、
たとえば、色は、
理論的に作られて、与えられるのではなく、
日々の体験の中で、感じとるものだと考えてみると、
自分たちの世界には、本当の真黒や、本当の真白というものは、
現実にはないのではないか?というように思えてくる。
言ってみれば、
真黒と真白は、
完全に作られた、この世には、ない色に違いない。
両端に紺を置くのは、
全てが紺の中に散りばめられ
包まれているという無限の広さを意味して、
中心にある黒は、紺が最も濃くなった色だと考えよう。
そして白は、
紺がどんどんと薄くなり、
最大に明るい紺だと考えたい。
数日前、
日本列島には強い寒波が停滞して、飛騨は2日間に及んで、
残酷とも言える勢いで白い雪が降り続いた。
見渡す景色は、全て白い雪に覆われて、
翌日は一転、晴天の陽の光が、
強い反射と影の風景に支配されている中に立つと・・・
まぶしい反射の白の中にも、
その雪面の影の中にも、
間違いなく紺色が潜み包んでいるのが自分には見える。
そう、やはり
紺色が、限りなく濃くなった色、それが黒、
そして紺色が、限りなくうすくなった色、それが白であり、
もっと言うなら
黒と白の間の、計りしれないグレーの幅には
すべてに紺の影が落ちている
自分の紺へのあこがれは・・・・無限につづく。