自分は修業時代からよく叱られてきた。
叱られながら
最もガンコな職人から可愛がられ
なぜか廻りが一番嫌う、
偏屈な職人が不思議に俺を傍に置きたがったように思う。
そんな日々に
幼い頃からの臆病な性格が加わって
その場の空気や
人への観察心と直感が強くなったのだと思っている。
地元に戻ってからは、ただ孤立してゆく14年間が続いた。
40人の社員(職人)と、身内仲間的に仕事をすることはほとんどなく、
仲間であって仲間ではない、井の中の人間関係が
否応なく人を観察させて
毎日は人づてに集めた
外からの職人達を仕事仲間としていたから
地元に戻ったという感覚は程遠く
18歳?40歳まで一定の仲間無く
いつもはじめて会う職人を使っていた。
いわゆる
一定の場所を持たない、旅職人は決まって気まぐれで
ルーズだったり、長続きしないタイプが多かったが
目的を持った時の集中力は、
むしろ並以上で皆共通して純真な情熱があり
そうした職人達の力で
どれだけ大きな突貫工事を切り抜けたか
難しい仕上りをどれだけ成功出来たかわからない。
それはやがて
その職人を直感することが出来る事、
その直感が最初は、ズレていても
修正して、その職人との間合いが持てること
一癖も二癖もある職人は
腕の冴えというか
必ずどこかに光る腕前を持っていた。
一徹な頑固な職人を動かすことが、
自分にとって生きることだった。
振り返ると
自分が得て来た能力(体験)とは
自分の腕前ではなく、様々な職人達との間合いというか、
付き合い方なのかもしれないと思う。
一方で、四角四面なタイプとは
極端に仕事が出来なくなってもいるが。
そんな体験が、今では職種を超えて
実直で一筋の道を歩んできた職人たちとも
お互いをすり合わせて
物づくりの挑戦に、新しい可能性が開けたり
思わず嬉しくなる物が出来あがることがある。
つい最近
なるほどさすがだなと、
久しぶりに仕事に唸ったものがある。
ひとつは、
時代の変化に危機に瀕している飛騨の一位一刀彫りで、
従来は般若やダルマなどの彫り物なのだが
それは、手の平サイズの
繊細に彫り込まれた《ほおずき》の匂い入れで
ウインドウの紫外線に風化して、ひっそりと
うっすら枯れた雰囲気をかもしだしていた。
( ほおずきのバックは
ほりお仏壇作製 漆の飾り台 )
もうひとつは
地元唯一の飾り金物職人で
同じ酒場で仲良く付き合わさせて貰っているのだが
少し前作りたての黒カクの間に招いたことがあった。
しばらくすると、
あの部屋の釘隠し(飾り金物)を考えてみたので
見にこないかという電話があった。
一枚の銅板と銀板を折り紙のように曲げ
技巧を凝らして飾るのではなく、
それは十二分な技能を持ちながら、
それに浸らず
シンプルに考え抜かれた
軽やかな美しさが詰まっていた。
どちらも
過剰過ぎず
気品があって
見飽きない
しかも、ちゃんと自分があって程よく消えている
解るかい?と、その物が人を見極めている。
今や、儚い灯火のような一品と一品。
いつか小林さんから聞いた言葉を思う。
《無名性のなかに無限の可能性がある》
無名性の仕事というのは、
誰の仕事である、ということではなく、
長い時間に、たくさんの職人たちの工夫によって
築かれてきた技能力のことだという。
《無名性のなかに無限の可能性を垣間見る》
その技能力を持って
本当のセンスと呼ぶに相応しいものに出会ったとき
この輝きを自分の中に
どれだけ小さく深く取り込むことができるだろうかと思う。
いつでも取り出せるように心の中に置いておこうと思う。
なぜなら
その先に自分に生まれる
色や肌や形や、気品が息づくのだろうから。
その気品は、古びるほど小さく強く輝くから。