一年に一度も連絡を取り合うことはない、
一年に一度も顔を合わせることだってない。
しかし、師走30日の午後6:30の約束事。
決まった料理屋の
決まったカウンターの席で、
自分と、一年を締めくくろうと待っている人物がいる。
そんな一夜の酒を、毎年30日に酌み交わして18年。
一度でもその約束を違えれば、
次はナシ。それで付き合いは終わり。
どんな理由も通用しない。
・・・これは男と男の決め事。・・・ハイ、まる。なのだ。
通称を≪ 六 ≫と名乗り、
この人物像を文字で表すことは難しすぎるが、
あえて言うなら、
昭和初期の場末を、単身生き抜いてきた筋金入りの一徹者。
・・・・ひとを刺すよな蚊になるためにゃ、泥水飲んで浮き沈み・・・・
「 ワシは天下一の嫌われ者で上等、友人など一人もいらない 」
地下足袋一本、鉄塔工事の最上段、旅から旅へと命を張った鉄骨鳶
テコでも曲げない意思を貫いてきた絶対的自信、
頑固の上に偏屈、偏屈の上にドが付く
年72歳などとは思えぬ体力と食欲と精神力は並大抵ではない。
「 いいかぁ秀平さんよ?、人間ちゅうのはなぁ、ナ?ンボ金稼いだって
ホンマモンのウマイモン食うとらんかったらなぁ、生きとる値打ちなんか
半分ぐらいしかないんやぁ、それを知っとるか知っとらんか、
お前なんかが言うウマイモンとは違う、
どこでもあるんとは、ちぃおっと違うぞ」
「 そりゃあそうだわ、そいつを、
どうやったら口に入れることが出来るかが勝負や
おぅ・・・いうとくけどな、
これだけは金はろうたら食えるんとちがうぞぉ」
エラのはった骨太の顔に、
三角に鋭く光る小さな眼と、とがった口
この六さんにかかると、医者もまいって言うことを聞くという。
・・・俺も、もう長い付き合い・・・
童子のような笑顔で話している六さんは
「・・・ってなもんよ」といって上機嫌。
もういい加減なじみになったと、油断してしゃべっていたら大間違い。
気が合っていた酒も、
たったひとことで一転、
どこがどうして、どう気に入らなかったのか、しばらく解らない。
・・・いきなり
「 おう!勘違いしとったらあかんぞぉ?」と、なりだしたあと
ねじれるような形相で首を傾げだすと、
裏返った声で唾を飛ばし、
「 キャラレレイレレロロ」の、
とんでもない巻き舌で!=気合を入れろ!と、吠えだす。
さらに話がねじれれば、
目には見えないドス一本、刺し違えるくらいの
シャレにならない展開へと変わる。
3年前と2年前は、
飲んでる途中でだんだん、だんだん、ねじれ出してきて
どうにもこうにも手が付けられない
こっちもガマンの限界、次の店に移動中、
ああ言えばこういう、お前そっちなら、ワシャこっち。
・・・いつの間にか、行方不明・・・・
まあ、この辺で済んでいるのは俺だから・・・・
とは言え頭に血が上って、ったく、またかぁ・・・。
世の中の末端で、
つかんできた知恵と経験のから飛び出す会話はまさに
≪口上≫というか≪啖呵≫。
現実を直視している一つ一つの言葉は、
真実とか、本当すぎる本当のことを、縦横斜め、
ねじれた裏側から的確にまとを射ていて、
まるで台本があるかのような生きた言葉をレレロ、レレロの
巻き舌調で、その切れ味は抜群。
暴走つっぱり鳶野郎も、
そこいらの下請会社社長も、
たとえスーパーゼネコンの大所長であろうと、
こてんぱんに打ちのめされてしまう。
その根底には
「 ワシが間違っているなら、いつでも消える用意がある。 」
「 どこへ行っても飯は食える。自分をかってくれる所へ行くだけだ。 」
という最後の強さがある。
ヤクザでも右翼でもない、
任侠でもない、
上も下も馴れ合いも身内も関係ない。
「 ワシ流の道理っちゅうものがある。 」
「 物事には順序っちゅうものがある。 」と言いながら
気に入らないやつは、
その物の道理を武器にした口上で、
相手の心のわずかな隙をついて容赦なく、
相手が謝ってもなお叩く。
相手は触れられたくない所をわしづかみにされた上に、
心にたんこぶができるほどのショックを受ける。
(最終的に何が何だったのか解らなくなる)
とにかく、六さんに触れたら火傷する。誰も近寄れない。
この六さんとはその昔、
某スーパーゼネコンの大型ホテルが高山で建設された際、
工事現場全体のゴミの分別処理、
共有部材や貸出道具類の管理、安全規則の番人としてやってきたとき、
現場に出入りしていた各下請け業者が、余りの厳しさに、
仕事以上にうるさい親父がいる、といった噂から出逢い、
最初は俺もコテンパンにやられていた、
けれどその内に、
よくもここまでひねくれた言い様で正論を吐けるもんだと
感心したというか、むしろ痛快になってきて
番人部屋に入りびたったのがはじまり・・・・・
今、名古屋は中村区の大門近くで
セメント色のぼろぼろのマンションを借り、
小さいお母ちゃんと2人で暮らしている。
18年前、六さんと2人。
名古屋駅裏あたり、夜の街をよく飲んで歩いたものである
その生の言葉を聞いていると、ずしりとくるものがあって、
メモしたいくらい嬉しくなったり教えられたり、傷ついたり・・・・。
口癖のひとつに
「 わしらのような場末の人間 」それを「 バセイ 」というが、
何とか横丁の奥、
バセイの飲み屋へ連れられてまた一杯、もう一杯のはしご酒。
連れられていく店では、
初めて会う人が、なぜかみんな俺を知っている。
八百屋のおやじに博打打ち、
そこいらの飲んだくれと、
客なんだか経営者なんだか訳の解らぬ飲んだくれババアが、
激しい会話をしている。
「秀平さんよ?、ひとつ教えといたる、
世の中がなぁ、ホントに景気が悪いか悪くないかは、
このドラム缶日雇い酒場の客を見てたらすぐ分かる、
貧乏臭い奴がなぁ泣きながら飲んどるか、
笑ろうて飲んでるか、なあ、もう言わんでも解るやろ?」
「ワシはこれでもよー、
ひと頃は、80人ぐらいやったら廻しとった時代もあったけどなー
お前もこの先、親分として立ってゆくんなら、
本当に苦しい時や決断に迷うた時は、まずここへ来て、
こういうとこ見てから考えろ。
それと、外したらあかんのは、腹いっぱい飲んだ時ほど、
いつもより30分早よう起きて、澄ま?して、
あっち向いとるのが、ほんまの親分や」
「オイッ?チ、切り出しのいいとこ、ちょこっと出せ、
いっぱい出したら不味いとこ入るからなぁ」
「こいつはボンボンだけどよ?・・・わしの友達でなあ?・・・
さしづめ、「ケレロロッッ」=≪小六≫みたいなもんだ?」
といって酒をさしたりさされたり。
その時、俺は一応、小六という名を襲名し
以来、12月30日の6:30、男と男の決め事が続いている。
去年は、久しぶりに気が合ったまま、
一晩を終えることが出来た
そうして31日のあさ8:30、
いつもの宿に迎えに行き、
ふたりで朝市を歩き、
豆餅と、味噌一桶と、地ねぎと酒一本を買う
・・・これも決め事。
あとは昨日の競輪グランプリの結果に話を咲かせながら駅に送る
こんなブログ書いているのが、
もしもばれようものなら
・・・たぶん絶縁・・・
これが18年間、
そしてこれからも続く、
六と小六としての一年を閉める行事である。